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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)5580号 判決

原告 福田菊次郎

右訴訟代理人弁護士 木宮高彦

同 菊地仙治

同 伊藤重勝

被告 橘和裕

右訴訟代理人弁護士 島岡明

主文

原告の請求は棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、当事者の求めた裁判

(一)  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の建物を明け渡し、かつ、昭和四四年三月一日から右明渡ずみに至るまで一か月金五万円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

(二)  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

二  当事者の主張

(一)  請求原因

1  別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物(一)」という。)は、もと原告の実兄福田虎助の所有であった。

2  福田虎助は、昭和一五、六年ころ、本件建物(一)を被告の伯父柳原康に賃貸借期間を定めずに賃貸したが、実際には右賃貸借契約成立の当初から被告らが本件建物(一)に居住していた。

3  昭和二一年一〇月ころ、福田虎助は被告を賃借人として認めるようになり、福田虎助と被告間に、本件建物(一)について期間の定めのない賃貸借契約が成立した。

4  その後、昭和三一年三月七日に福田虎助が死亡し、原告は同日遺贈によって本件建物(一)及び別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物(二)」という。)の所有権を取得するとともに、本件建物(一)につき賃貸人たる地位もあわせて承継した。

5  原告は、被告に対し、昭和四三年八月二九日付の内容証明郵便で、本件建物(一)の賃貸借を解約する旨の申入れをし、この郵便は同月三〇日被告に到達した。

6  右解約の申入れには、次のような正当事由がある。

(1) 原告及びその家族は、本件建物(一)を使用し得ないため、本件建物(二)を使用するしかないところ、現在、右建物には、原告のほか、原告の長男亮太一家五人(亮太夫婦及び子供三人)が居住している。そのうえ、原告は本件建物(二)を原告一家の生業であるストロー業(日東ストロー商会)のための事務所、店舗及び倉庫としても使用している。すなわち、本件建物(二)のうち、一階二畳の玄関、六畳二部屋、二畳一部屋及び二階八畳一部屋はいずれもストロー置場に使用し、一階八畳一部屋は右商会の応接間に、二階四畳一部屋は臨時に宿泊する従業員の寝室として使用している。しかして、わずかに、離れの五畳間を長男亮太夫婦の寝室に、建増部分の一階八畳間を亮太の子供三人の勉強部屋兼寝室に、二階の六畳二間を亮太の家族の居間及び寝室に使用しうるにすぎない窮状にあって、八〇才をこえる原告には落ち着くべき部屋さえなく、成長又は受験期にある孫らにもその居室を与え得ないため勉学も思うに任せない状態である。

(2) 近年ストロー業男では競争がとみに激化し、日東ストロー商会としても、これが対策に苦慮しているところ、本件建物(二)の一部しか使用しえないことは、対外的信用の面でも、営業活動の円滑な推進の面でも、大きなマイナスの要因となっている。すなわち、被告ら居住の本件建物(一)が公道に面しているのに反し、本件建物(二)は公道から本件建物(一)の前にある狭い路地を通り抜けた奥にあって不便であるうえ、前述のとおり手狭なため、顧客の接待や執務、在庫品の保管にも支障を生じ、同商会の現状維持並びに今後の発展にとって大きな桎梏になっている。

しかして、同商会の浮沈は原告一家のそれを意味している。もっとも、原告の長男亮太が他に勤務していることは、被告主張のとおりである。

(3) さらに、原告の甥であり、日東ストロー商会の取締役でもある米田忠雄の家族四人は、現在、本件建物(一)の左隣りにある吉田曄生所有の建物に毎月金八〇〇〇円の賃料を支払って一時居住している状態であるから、同人らの居住のためにも、本件建物(一)の一部を提供しなければならない必要がある。

(4) これに対し、被告は、現在原告居住の本件建物(二)とその広さにおいて大差のない本件建物(一)に、母及び妹静香とともに三人で居住しているにすぎなかった。

現在は、そのほかに、被告の妹香澄が夫箕浦章及び子供三人とともに同居しているが、これは、昭和三一年ころ結婚し、目黒に居住していた妹香澄一家を、被告が昭和四〇年ころ原告に無断で同居させるに至ったものであって、賃借人としての義務に違し、著しい背信行為といわざるをえない。

(5) 原告及びその家族は、昭和二一年一〇月、満州から引揚げてきたが、居住すべき家屋がなかったため、原告が被告に対し本件建物(一)の明渡を請求した。しかし、被告はこれに応じようとしなかった。

原告は、その後も遺贈によって本件建物(一)の所有権を取得する前後を通じて、福田虎助の代理人又は賃貸人本人として、今日まで常々その明渡を求めてきた。

その間、原告は、被告の立場も十分考慮して、家賃の額を、時価を無視して、昭和三二年当時のまま月額金九七九二円を据え置くなど誠意を示してきた。

しかるに、被告は、明渡交渉の都度、一日も早く移転先をみつけ次第直ちに明け渡す旨確約しながら、実際には移転先を探すための努力をしていない。

そこで、原告はやむなく昭和四四年八月二七日東京簡易裁判所に本件建物(一)明渡の調停を申し立て、被告側の事情も十分考慮して相当額の移転料を支払う旨の提案もしたが、被告が新居購入に要する費用の約半額に相当する金四〇〇万の支払を要求しつづけたため、右調停は不調に終った。

このように、被告は原告の誠意を常に踏みにじり、原告の前記窮状を全く顧みようとしない。

(6) 被告が後記請求原因に対する認否4(6)において主張する事実中、被告らが本件建物(一)から転居することにより妹静香の個人教授による収入が必然的に減少すること及び被告が本件建物(一)を明け渡すことは経済的にみて殆んど不可能であるとの点は否認し、その余の事実は知らない。

7  かくて、原被告間の本件建物(一)の賃貸借は、前記解約の申入れが被告に到達した日から六か月を経過した昭和四四年二月末日に終了したものというべきところ、被告はその後も本件建物(一)を返還せず、使用を続けているので、原告に対し、賃料相当額の遅延損害金を支払う義務がある。しかして、昭和四四年三月一日以降における本件建物(一)の相当賃料額は、一か月金五万円である。

8  よって、原告は、被告に対し、本件建物(一)の賃貸借終了を原因として、本件建物(一)の明渡と賃貸借終了の日の翌日である昭和四四年三月一日から明渡ずみに至るまで相当賃料額である一か月金五万円の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二)  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実はいずれも認める。

2  同4のうち、原告が本件建物(一)の所有権を取得し、賃貸人たる地位を承継したことは認めるが、所有権取得の時期及び原因は知らない。

3  同5の事実は認める。

4  原告がした本件建物(一)の賃貸借解約の申入れには、次に述べるように、正当事由はない。

(1) 請求原因6(1)の事実のうち、原告及びその家族は、本件建物(一)を使用し得ないため、本件建物(二)を使用するしかないところ、現在、右建物には、原告のほか、原告の長男亮太一家五人が居住していること、原告は本件建物(二)をストロー業のための事務所、店舗及び倉庫としても使用していることは認めるが、具体的な使用の態様は知らない。

(2) 同(2)のうち、日東ストロー商会の浮沈が原告一家のそれを意味するとの点は否認する。原告長男亮太は他に勤務しており、右商会の営業には従事していない。その余の事実は知らない。

(3) 同(3)の事実は否認する。米田忠雄一家は他に居住の場所を有している。

(4) 同(4)のうち、現在本件建物(一)に、被告、母及び妹静香並びに妹香澄一家合計八人が居住していることは認めるが、その余の事実は否認する。

妹香澄一家は同人の結婚当初から本件建物(一)に居住しており、同人らを同居させていることについて、被告に賃借人としての義務違反はない。

(5) 同(5)のうち、昭和二一年ころ原告から本件建物(一)の明渡を請求され、被告がこれに応じなかったことは認めるが、これは、被告に転居すべき場所がなく、かつ、被告は本件建物(二)に居住しえたからである。

昭和二二年ころには、原告から、旅館業を営みたいとの理由で、本件建物(一)の明渡を求められたことはあるが、その後間もなく原告から取り止めたとの連紹があり、この件は解消となった。

昭和三五年には、さらに、本件建物(一)の敷地にアパートを建てたいとの理由で、明渡を請求されたが、これも前同様被告としても移転先がないので、そのままとなり、沙汰止みとなった。

これ以外に、原告から本件建物(一)の明渡を求められたことはない。

つぎに本件建物(一)の賃料額は、昭和二四年ころから昭和二六年末までは金四八〇〇円、昭和二七年初めから昭和二九年九月までは金六八〇〇円、同年一〇月から昭和三二年九月までは金八一六〇円、同年一〇月以降は金九七九二円である。しかし、家屋の修理費は被告が負担してきた。

また、被告としても、原告の請求に対し、今日まで徒らに手をこまねいていたわけではなく、移転先を求めはしたが、適当なそれを見出し得なかったものである。

最後に、原告主張の調停手続において、被告が移転料として金四〇〇万円の支払を希望したことはあるが、その余の事実は否認する。

(6) 現在被告一家(被告、母及び妹静香)は、主として妹静香の収入によって生計を営み、一部は本件建物(一)に同居する妹香澄から交付される月額金一万五〇〇〇円の金員に依存しているところ、妹静香の収入は、お茶の水女子大学及び東京学芸大学における非常勤講師としての給与と近隣の子女に対するピアノその他の音楽の個人教授によるものであり、うち右給与は年額金四〇万円足らずである。また、同人はその専門である声楽の勉強のため、自らピアノ、声楽の教授をうけなければならず、右個人教授による収入の大部分はこれに当てることを余儀なくされている。

しかも、妹静香は、その勉強及び個人教授のため、二台のピアノを必要とするため、相当な広さの住居を必要とする。

したがって、被告一家が生活を維持できるような広さの借家を他に求めることはそれ自体困難であるうえ、かりにそれが見出せたとしても、その賃料が相当高額になることは見易きところであるから、転居に伴って妹静香の個人教授による収入が減少することを考えれば、被告が本件建物(一)を明け渡すことは、経済的にみて殆んど不可能である。

5  請求原因7のうち、被告が昭和四四年三月一日以後も本件建物(一)の使用を継続していることは認めるが、その余の事実及び主張は否認する。

6  同8の主張は争う。

三  証拠≪省略≫

理由

一  請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、同4の事実を認めることができる。

二  請求原因5の事実も、当事者間に争いがない。

三  そこで、原告がした、本件建物(一)の賃貸借を解約する旨の申入れに、正当事由があるか否かについて検討する。

(一)  原告及びその家族は、本件建物(一)を使用し得ないため、本件建物(二)を使用するしかないところ、現在、右建物には、原告のほか、原告の長男亮太一家五人(夫婦及び子供三人)が居住しており、そのうえ、原告が本件建物(二)をストロー業のための事務所、店舗及び倉庫としても使用していることは、被告の認めて争わないところであり、≪証拠省略≫によれば、原告主張のような間取りを有する本件建物(二)を、おおむね、原告主張のような態様で使用している(もっとも、一階の八畳間は原告の寝室としても利用されている。また、この八畳間に隣接する六畳一部屋は、現在、食堂兼事務室として使用されており、ストローは置いていない。)こと、したがって、全体的にみて手狭の感は免れず、とくに、原告の長男亮太夫婦はそれぞれ別の部屋を寝室としなければならず、同人らの長女早苗及び二男雄二郎には専用の子供部屋を与えることができないなど、日常生活のうえである程度の不便を余儀なくされていることが認められ、これに反する証拠はない。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、本件建物(二)は、公道から本件建物(一)の前にある路地を通り抜けた奥にあるため、公道に面している本件建物(一)に比し、ストロー業を営むうえで、不利な点があることが認められ、日東ストロー商会が今後大いに発展するためには、このことが一つの制約となるであろうことは、推測しえないわけではない。

しかしながら、近年ストロー業界で競争がとみに激化し、右のような立地条件の不利と相まって、右商会が現状維持も覚束ない旨の原告の主張は、本件全証拠によるも、これを認めることはできない。

しかも、原告の長男亮太が他に勤務を有するサラリーマンであることは当事者間に争いがないから、前記商会の浮沈が即原告一家のそれを意味するものと断ずることも許されない。

(三)  ≪証拠省略≫によれば、原告の甥であり、日東ストロー商会の取締役でもある米田忠雄一家は、かつて本件建物(一)の隣りにある吉田曄生所有の建物の一部を賃借していたが、現在は品川区内にあるアパートを月額金三万四〇〇〇円の家賃で賃借し、居住していることが認められる。しかして、本件建物(一)に住むことができれば、米田忠雄にとって種々の面で好都合であろうことは容易に了解しうるところではあるが、現在差し迫ってそうしなければならない緊急の必要性が同人にあることをうかがわせる資料は全くない。

(四)  被告は、従来、原告主張のような間取りを有する本件建物(一)に、母及び妹静香とともに居住してきたこと、現在、右建物には、被告ら三人のほか、妹香澄一家五人が同居していることは、当事者間に争いがない。

しかして、≪証拠省略≫によれば、被告妹香澄は、昭和三〇年ころ結婚して、それまで住んでいた本件建物(一)を一旦出たが、昭和三七年ころに至って、とくに原告の承諾を得ることなしに、再び家族とともに右建物に居住するようになったことが認められ、これに反する証拠はない。しかしながら、被告が妹香澄一家を本件建物(一)に同居させたことをもって、賃借人としての義務違反ないし著しい背信行為と目すべき事情は、本件全証拠によるも、これを認めることはできない。

(五)  原告が、昭和二一年以来、被告に対して何回か(それが、原告主張のように、常々請求したものであるか否かはとにかくとして)本件建物(一)の明渡を請求し、ことに、昭和三二年からは今日まで全く賃料を値上げしていないこと、昭和四四年八月には、原告が東京簡易裁判所に右建物明渡の調停を申請し、相当額の移転料を支払う旨の提案もしたが、被告が金四〇〇万円の支払を要求し、当事者間に金額について折合いがつかなかったため、右調停は不調になったことは、当事者間に争いがない。

しかして、≪証拠省略≫によれば、被告は、原告から明渡を請求された際、他に適当な家屋が見つかれば、本件建物(一)を明け渡してもよい旨言明し、移転先を探すべく、新聞広告などによって一応の努力をしたことが認められる。

原告は、さらに進んで、明渡交渉の都度、被告は一日も早く移転先をみつけ、すみやかに本件建物(一)を明け渡す旨確約しながら、実際には何らの努力もせず、原告の窮状を全く顧みようとしなかった旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(六)  ≪証拠省略≫によれば、被告が請求原因に対する認否4(6)において主張する事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(七)  以上において確定した事実関係のもとにおいては、原告にも本件建物(一)を使用する必要性がある程度存することは否めないところであり、原告が右建物明渡のためそれなりの誠意を示し、努力を払ってきたこともまた無視しえない。そのうえ、経済的な問題を一先おいて考えれば、被告においても本件建物(一)そのものに居住していなければならない必要性はさして強いものとはいえない(被告自身、十分な移転料が得られるかぎり、右建物を明渡してもよいとの意向を持っている。)。

しかしながら、被告に対して無条件で本件建物(一)を明け渡させるならば、その経済生活の基盤を失わさせる結果を招来することは明らかであるから、被告の右建物使用の必要性はなお原告のそれにまさるものというべく、原告のした本件解約の申入れには正当事由がないものと解するのが相当である。

四  よって、原告の被告に対する本訴請求は、進んでその余の点につき判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐久間重吉)

〈以下省略〉

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